21世紀の民族教育を見つめて

民族学校の現場から<16>

 



 
 

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日本語習得へのシステム化
前田真彦(建国中・日本語科教師)

 11年目になる日語教師です。韓国語ができるという特性を生かして、韓国から編入して来た生徒の日本語習得の補習を10年来一手に引き受けてきました。普段あまり日の目を見ない日本語習得の現場から報告したいと思います。

 日本語習得の補習が必要な生徒は現在中学1年生で5名、中学2年生は4名、中学3年生で8名、建国中学校全112人中17名です。これはかなり大きな数字です(本国班の人数ではありません。まだ日本語が不十分だと判断される生徒の人数です)。この生徒たちと週に2回日本語習得のための補習授業を放課後に行っています。

 日本語を外国語として教えるのは、実はかなり難しいことです。日本語を外国語として捉えなおさないと、教えることはできません。

 ためしに、いくつか日本語の動詞の過去形を見て、過去形を作るときの法則を見つけ出してみてください。それができなければ、日本語の過去形の作り方は教えることができないということになります。「歩く」→「歩いた」、「泳ぐ」→「泳いだ」、「走る」→「走った」、「する」→「した」、「食べる」→「食べた」、「読む」→「読んだ」、「くる」→「きた」

 いかがですか。随分複雑ですね。「分ける」はどのタイプの動詞でどう活用するのか、「歌う」はどうか、と考えながら過去形を作るわけです。ちょうど僕らが英語の不規則動詞の活用をおぼえたように。外国語として日本語を習得すると言うことはこういうことなのです。その負担を少しでも軽くし、覚えやすいように、手助けするのが日本語習得の補習です。

 日本語を教えることを通して感じることは、日本語の難しさだけではありません。精神的なことでも彼らは大変苦しい思いをしているということです。学校生活の大半は日本語でなされます。集団生活のなかで周りとコミュニケーションがとれないということはどれほどストレスが溜まっていくか、それはちょっと想像してみるだけでも想像はつくはずです。

 生活習慣の違いやクラスへの適応、日本語で進められる授業、本国班のなかでの友だち関係、などなど。韓国から来た生徒はしばらく過酷な環境下におかれます。これらを一つ一つ克服していかなければならないわけですが、その一番の元になるのが日本語習得です。

 ここ数年韓国からの編入生は漸増してきています。本国編入生の日本語習得は放課後の補習や特定教師の負担だけでまかなえる状態ではなくなってきています。

 建国中学校では2000年の春から、各学年で週に1回、読書の時間に本国班だけ集めて日本語習得の授業をするようにはなりましたが、週に五十分で間に合うはずもなく、やはり放課後の補習がその中心になっています。

 民族学校というと、在日韓国人の、ということに力点が置かれますが、韓国からの編入生も受け入れる以上は、彼らの受け入れ体制をきちんとしていかなくてはいけません。日本語を教える専門スタッフ、カリキュラム、システム、本国編入生の精神的な面でのフォローなど、民族学校として今後積極的に取り組んでいかなければならない課題ではないでしょうか。

(2001.02.14 民団新聞)